カメラはその瞬間をとらえて物理的情景をフィルムに保存する。とらえた物理量は光による濃淡、色彩の波長、色相のパターンに過ぎない。が、それを操作するのは人、視座を定めアングルを決めてその時を待つ。
                                徳川 国禎


 思いは遠く二荒山神社草創の昔より、東照宮、輪王寺併存の今日まで、数多くの異国の人達が起こす心酔の感興。それは悠久の時の流れのままに、またその流れに超然として神鎮まる日光のたたずまいである。

 人は感覚を通して近くを生み、人それぞれのイメージを描く。が、そのイメージは人の内界と下界の集合である。個なると同時に全体、現在と同時に過去、人の意識は自在に時空間を馳せめぐり、豊かな想像を混じえて未来を描く、イメージとはそのようなものであろう。
 緑に映える朱塗りの神殿、安土桃山の伝統を伝える工芸の素晴らしさ、幾度参詣しても盡きぬ感興は、人間の霊妙な識の結晶でなくて何であろう。

 これを正しく捉え、後の世にも伝え度もの、それは識であり、鋭いイメージの表現としての巧まざる技である。
                                          (とくがわ くにただ 水戸徳川家)